とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

幻の通学路

先日、ふと思い立って、散歩がてら小学校の時の通学路を歩いた。卒業以来だったからかなり久しぶりだ。

 

家から小学校までは、当時の歩くスピードで20分以上かかる距離だ。よく毎日歩いたもんだと今更ながら感心した。そのおかげで、と言っていいのかは分からないが、長距離を歩くことに抵抗がない。大学時代、最寄り駅からアパートまで約30分を平気で歩いていた。もちろんいつもではない。バスを利用することも多々あった。音楽も聴かず、スマホも見ず、ただひたすら歩くだけの無駄な時間と思われるかもしれないが、歩きながらよく考え事をしていた。たまにいいアイディアが思いつくこともあった。だから私にとって、歩いている時間は決して無駄ではない。そろそろ本題に移ります。

 

通学路を歩いていると、当時に比べ建物が低くなったような不思議な感覚になった。それもそのはず。自分の身長が伸びたのだから。

 

「あれ、あの家前からあったっけ…?(空き地ではなかったと思うけど…)」

「うわっ、地下道の水漏れもそのままだ。(おいおい、そのままでいいのか?)」

 

なんて、変わったものと変わらないものを交互に感じていた。

 

終盤に差し掛かったとき、あることを思い出した。そういえば低学年の頃、秘密の抜け道を通って帰っていた。白状すると、抜け道というのはがっつり人様の家の敷地である。後ろに人がいないことを確認し、すぅーっと家と家の隙間の通路を抜け、庭をとおり、道路へ出ていたと思う。当時の私は、歩き慣れた道から外れて自分以外誰も通っていないだろう秘密の道を通るというスリルと興奮の虜になっていたのだろう。ただ、バレたら絶対に怒られる(その家の人にも、先生にも)。結局バレることはなかったが、自分だけの秘密の通路を見つけたワクワクよりも、他人の家の敷地に無断で侵入する罪悪感の方が勝るようになってからは、通っていなかった。

その通路はまだあるだろうか。

 

淡い期待は裏切られた。

通路があったと思われる家は建て替えられていた。秘密の通学路は幻になってしまった。なんだか寂しかった。時の経過を見せつけられたようだった。確かにそこにあったはずなのに。いざなくなってしまうと、本当にこの場所で合っていたのかと不安になる。自分の記憶までも疑ってしまう。あの時感じたワクワクも、なんだか急激に色褪せていくような気がした。でも、仕方のないことだ。家も人も、街並みも変化してあたりまえだから。私が覚えていればそれでいいのかもしれない。大切な思い出として仕舞っておいて、ふとした瞬間に思い出す。その通路は、私の思い出の中だけに存在する。それはそれで、なんだかワクワクする。