日々の断片採集記

映画化もドラマ化もしない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

香りが呼び覚ますいのちの記憶

21_21 DESIGN SIGHTの企画展「スープはいのち」に行った。“スープ”を通して衣食住を見つめ直すというコンセプトが興味深く、体験してみたいと思った。

 

まず驚いたのは、羊水にはうまみ成分であるグルタミン酸が豊富に含まれているということだ。生まれる前からおいしいスープに出会っていた、というよりもおいしいスープの中で育っていたという事実を知り、不思議な感覚になった。

 

そして強烈に印象に残っているのが、和泉侃さんの『香りの記憶装置』という作品だ。コンソメキューブの形に閉じ込められた「0.9%の世界」、「土器」、「羊水」、「スープ」、「灰」という5つの香りを体験するというものだった。はじめはそれぞれの香りの説明を読まずに、嗅覚だけを使って感じてみようと思い、匂いを嗅いでみた。どれも複雑で一言では言い表せなかった。5つの中で最も気になったのが、5番目の香りだった。その香りはなんというか、“引っかかる匂い”がした。嗅いだ瞬間はカラッとして無機質な印象を受けたが、すぐに有機的な香り(人間なのか動物なのかとにかく“生きているものの匂い”)が鼻に飛び込んできた。香りの説明を読んで納得した。香りの成分として動物性の原料も使っていて、説明の中の“生物の気配”という表現がしっくりきた。

 

香りの説明を読んでもう一度匂いを嗅いでみると、また違った印象を受けた。でも、5番目の香り、「灰」だけはずっと引っかかったままだった。おそらく、自分の中にある灰のイメージが、その香りと一致していないからだろう。灰は“死”を意味し、“死”は無になることだ―

 

―はじめて火葬場に行ったとき、建物の中に入るのが怖かった。なぜなら、“燃やしている”匂いがするのではないかと思っていたから。人の体が焼かれるという事実と否が応でも対峙せねばならぬと思った。でも実際は違った。空調がしっかり稼働していて、不自然なくらい無臭だった。熱気と共に立ち昇る残骨の匂いもカラッとしていて、生物の気配なんて全くしなかった。その時はじめて目の前に“いる”から“ある”という感覚に変わった。それは感情の流入を許さないほど機械的に変わっていった。これが人の最終形態か。これが死なのか―

 

「灰」の香りを何度も嗅いで考えた。長い時間生きていたのにたった数時間で無味乾燥な物質に変化してしまうのは、あまりに呆気ない。そんなものだと言われればそうかもしれないが、感じ逃していたことはないか。死を想うこと、そしていのちを想うこと。忘れていた感覚を取り戻したような気がした。

 

見て、嗅いで、触れて。あらゆる感覚が刺激される展示だった。

 

約300文字日記<7日目>

6月13日 晴れ

唐突に始めた約300文字日記も今日でいったん一区切りとする。約と言いながら400文字を越える日もあった。実は、ブログという形ではなく、表に出すことはない日記を15年近く続けている。その日のうちに書けなかった場合は次の日にまとめて書いたりしていた。学生の頃は3年連用を使い、それ以降は5年連用の日記帳を使っている。夏休みの宿題ではあるまいし、やらなくてもいいことなのになぜか続いている。いったん習慣化したことは簡単にはやめられないのだ。その日にあったこと、感じたことをほんの数行の文章にする。嫌じゃないから続いているのだろう。いつまで続けるのかは分からない。やめるタイミングがなければずっと書き続けるかもしれない。溜まった日記はどうしようかとたまに考える。読み返すことはほとんどないから。しかるべき時にしかるべき方法で処分できればいいか。また気が向いたら、約300文字日記を復活させようと思う。

約300文字日記<6日目>

6月12日 晴れ

駐車場から職場までは歩いて5分くらいだ。最近は日傘を差すか差さないかで迷う時間がある。太陽が燦々と照りつけていれば迷うことなく差せる。だが、明らかに曇っていたり、風が強い日は差さなくても平気なのではないかと思ってしまう。平気なわけがなかろうに。曇っていても風が強くても紫外線は平等に降り注ぐ。つまりは面倒なのだ。どうにかこうにか傘を差さなくても日焼けない理由を生成している。まったく自分に呆れる。紫外線が肌に与えるダメージのことを考えたら、差す差さないで迷うなんてありえない。白状しよう。今日は日差しが強いにも関わらず傘は差さなかった。理由は、日は差していたが涼しかったから。何十年後かにポツリポツリと浮かび上がってきた腕のシミを見て後悔するがいい。

約300文字日記<5日目>

6月11日 晴れ

今日は午後から健康診断だった。朝の7時くらいから何も食べていないので、空腹感に全身を支配された状態で会場に向かった。

健診が行われる会場では、待合スペースにテレビが置かれていて、お昼の情報番組が流れていた。こういった情報番組では大抵の場合何かしらの食べ物が出てくる。ちょうど受付開始前で、これから健診を受ける人たちが大勢待っている中、テレビの画面にはチーズがたっぷりかかったハンバーグや濃厚そうなカルボナーラの映像が映し出された。私はスマホを見て空腹を紛らわせようとしていたのだが、ついその魅惑的、いや、空腹の者にとっては暴力的とすら感じる映像に目を奪われ、ストレス値が跳ね上がった気がした。今もしあのハンバーグが目の前に出てきたら上品に食べることができるだろうかと考えた。この程度の空腹ならまだしも、もしこれ以上の、極限の空腹状態になったとき、食べ物を前にした自分はどんな態度をとるだろうか。自分の知らない動物的な部分が表出するのではないか。そんなことを考えていたら受付が始まった。あの場にいた人たちはハンバーグを見て何を感じただろうか。

約300文字日記<4日目>

6月10日 晴れ

買い物をするたびに、自分の財布に対しての適正な小銭の量について考え、調整している。正直面倒だ。それならキャッシュレスだけに振り切ってしまえばいいと言われるかもしれないが、そこまでの度胸はない。溜まるときは財布がパンパンになるくらい溜まるけれど、全くストックがなくなる時もある。常に一定数を保つのが非常に難しい。最近は財布がだいぶ膨れてきたので、小銭を減量するために極力現金で支払おうとしているが、ちょうどよい金額を持ち合わせていない場合は結局キャッシュレスに頼ってしまう。そうするとなかなか減らない。今日の買い物の合計金額は1,278円。200円はあったが、78円はなかなか手ごわい。しかし今日は違った。小銭入れを掘り返してみると、ちょうどあったのだ。50円玉と5円玉を含めてなので減り方は緩やかだが、着実に減らせている。よし、と少し得意げに店を後にした。

約300文字日記<3日目>

6月9日 曇り

仕事帰りに無印良品に行った。これといって欲しいものがあったわけではない。月に1回くらいのペースで季節限定のお菓子や新商品をチェックしているのだ。ゼリー類やチョコミント味のお菓子など初夏の爽やかさを感じる商品が多く陳列されている中、パックジュースのようなパッケージのコーヒーゼリーが目に留まった。「これ、前からあったっけ、新商品…?」と思ったが新商品ではないみたいだ。先月もその前もあったはずだが、見えていなかったのだろう。コーヒーゼリーの隣にはコーヒープリンがあった。2種類を一度に買うのは気が引けたので、とりあえずコーヒープリンから買った。家に帰り、夕食後に食べてみた。心からの「美味しい!」を言う準備をしていたが、うーん、なるほど、はい、おいしい…?にとどまった。後味のミルク感が私には合わなかったみたいだ。とりあえずでなぜゼリーではなくプリンを選んだのだろう。次こそはゼリーを試してみようと思った。

約300文字日記<2日目>

6月8日 雨

この時期は温度によって服装を調整するのに苦労する。考慮すべき温度は2種類だ。一つは外の気温。これは特に説明は必要ないだろう。問題は室内の温度。とりわけ平日の1日の約3分の1の時間を過ごす職場の温度は大切だ。外気温が25℃を越えるような日の室内は、冷房がしっかり効くので長袖一枚でちょうどよい。しかし、外気温が25℃を下回る雨の日は非常に悩む。外は少し肌寒さを感じるから長袖でいけるかも、と思いきや、室内は冷房が控えめで熱気がこもり、湿度もありムシムシする時がある。こういう時は七分丈や半袖が正解だ。さて、本日はどうだったか。外気温は20℃程度で久しぶりに寒いと感じた。だがこれまでの経験から室内はムシムシするだろうと予想し、七分丈を着ていった。失敗した。冷房が本気だった。職場の空調との心理戦はもうしばらく続きそうだ。