とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

跡形もなく消えたとしても

私が借りている駐車場の隣の家には、立派な桜の木があった。昨日までは確かにそこにあった。でも今は跡形もなく消えている。本当に桜の木があったのかと疑いたくなるくらいきれいに消えていたから驚いた。なんだかとても寂しかった。その家はもともと空き家で、数ヶ月前に取り壊され更地になり、庭にたった一本だけあった桜の木だけが残されている状態だった。家の塀を越え駐車場まで伸びている桜の木は、季節を感じさせてくれる存在だった。春は満開の桜を毎日見ることができた。月曜日の憂鬱な朝も、薄いピンク色の花を付けすぎて重そうに揺れる枝を見ればほんの少しだけ気が軽くなった。緑の葉の茂りは、夏が近いことを感じさせてくれた。苦手な夏が迫ってくるようであまりいい気はしないが、緑の桜も嫌いではなかった。冬が近づくと日に日に葉がなくなっていった。落ち葉が駐車場でカラカラと音を立てて舞っていた。枝だけになった桜の木に雪が積もると、ぼんやりしていた枝の輪郭がくっきりと浮かび上がり、骨格だけでも美しいのだということが証明された気がした。

と、こんなことを書いているが、実はその桜の木の姿をはっきりと思い出せない。毎日見ていたものなのに。悔しいような、寂しいような、なんとも言えない気分だ。来年の春はもうあの桜の花を見ることはできない。撤去された桜はどこにいったのだろうか。季節を知らせてくれたあの木はどこへ。木がないと、空が広く見える。それも悪くない。姿は思い出せなくなっても、存在していたことは忘れないと思う。なぜなら桜の木だったから。春になれば、必ず、思い出すことになるだろう。見上げれば、かつてあった桜の気配がしそうな気がする。