とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

虚像を生きる

2023年4月某日

 

茨木のり子さんの詩が好きだ。歯切れのよい言葉の奥にある強い思いに共鳴する。特に好きなのが、〈さくら〉という詩だ。その中にこんな言葉がある。

 

さくらふぶきの下を ふららと歩けば

一瞬

名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態

生はいとしき蜃気楼と

 

谷川俊太郎選 茨木のり子詩集』〈さくら〉より

 

さくらふぶきということは、散り始めている桜を見ているのかもしれない。一年のうちたった数週間だけ、生を爆発させるように咲き乱れる桜は散る姿もなんとも言えない美しさがある。だが、その散る姿に人の死を安易に重ねてしまうことには抵抗がある。もっといえば、桜の花言葉の一つ「精神の美」もあまり好きではない。咲くときにはパッと咲いて散り際をわきまえてサッと散る。その潔さに精神美を見いだしたのかもしれないが、かつてこの花の名がついた航空機に乗り、散る必要なんてないのに国のために散った人たちがいたことをいつも考えてしまう。美化してはならない事実だ。話を戻そう。なぜ《生はいとしき蜃気楼》なのか。蜃気楼、つまり、光の屈折によりできる虚像。生は死の虚像ということか。その答えらしきものを昨年見つけた。

 

昨年、父方の祖母が亡くなった。最後に会ったとき、いつもの見慣れた姿とあまりにも違いすぎて言葉が出てこなかった。いろんな種類の管に繋がれて、ゲッソリとやせ細った人を目の前にしたとき、本当に祖母なのか一瞬分からなかった。痛みを抑えるために薬を投与し続けていたが、明日を迎えられるかどうかという状態だった。会話はできないが耳は聞こえているとのことで、何か声をかけてあげてと言われたが、何を言っていいのか分からなかった。今までの感謝を伝えるべきだったんだろう。こういう場面、ドラマで見たことがあった。でも実際にその場面に直面すると、ドラマのように感動的な台詞なんて出てこない。死の間際に本音で語り合い涙を流すなんて幻想だった。細くなった祖母の手を握り、「今日は天気がいいね」とか「意外と病室狭いね」とかどうでもいいことをポツリ、ポツリと語りかけた。それで精一杯だった。「ありがとう」の一言くらい言えよと思うかもしれないが、返事が来ないことを知りながら「ありがとう」って言えるほど私は強くなかった。心の中でいろんな思いを伝えて病室を後にした。その日の夜、息を引き取った。

 

亡くなってからの祖母は、生きているときとは違う、私の知らない顔をしていた。棺の中に横たわる彼女を目の前にして、生きていた時の姿を想像した。目の前の人と想像の中の人が同じ人物だという実感が湧いてこなかった。死んでしまうと、生きていたことがまるで幻だったかのように思えてしまうことがどうしようもなく悲しかった。ふと、茨木さんの詩にあった《死こそ常態》という言葉を思い出した。突然、私は不思議な感覚に襲われた。それまでは、生きている人に死が訪れるものだと思っていた。だが、“生が去っていった”と感じたのだ。私たちは、死が訪れるまで生きるのではなく、生が去るときまで生きるのではないか。一見同じことのように思えるが、私にとっては全く違う。無数に存在する死の一つに、たまたま生が宿ったことで生きている。この世を十分に味わったら、生はふっと去って行く。なぜかこの考え方がしっくりきた。棺の中に横たわる姿が《常態》で、私が一緒に過ごした祖母という人は《蜃気楼》だったのかもしれない。生きていたことが幻のように思えた理由が少しだけ分かった気がした。

 

桜も同じように考えられるのではないかと思う。凍てつく冬を越えた枝はまるで死んでいるかのように見える。だが空気が温むとつぼみができはじめ、待ってましたと言わんばかりに一斉に花開く。まるで暖かい風がいのちを運んできて桜の木々にコロンと落としているかのようだ。そして花の生が去るとき、花びらが一斉に散る。まさに蜃気楼のようにふうっと消えるのだ。その後に残るのは死だけ…ではなく、緑の葉という新しい生が訪れる。

 

ちょっとした偶然から生が訪れたがために生きている。笑ったり、涙を流したり、憎んだり、怒ったりしながら生きている人たちはみな《いとしき蜃気楼》なのだろう。生が去るその時まで、虚像を生きてみるか。あの詩とあの死が多くの気づきを与えてくれた。

 


★2020年から毎年一編、桜をテーマにエッセイを書いています。