とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

霧の中へ

ある日の夜11時半頃、出張から帰ってきて駅を出ると、一面霧に覆われていた。空気はひんやりしていてゾクッとした。ただ寒いだけではない。なんだが心がざわつくような気配がした。駅から自宅まではタクシーを使った。車窓から眺める景色はいつもの見慣れた街ではない。信号機の赤や青がやけに目に付き、異界に誘い込む道案内をしているようだった。車通りも少なく、タクシーは霧の中をぽつんと進んだ。運転手さんも「すごいな、霧…」と独り言を呟いた。車内は静かだった。この町で霧が発生するのは滅多にないことなので、私は静かに興奮していた。少し歩きたいと思い、自宅近辺でタクシーを降りた。支払を済ませ外に出ると、まさに異界。数メートル先も見えなかった。このまま歩き続けるとどこか知らない世界に辿り着いてしまうのではないかという不安と、そうなってもいいかもしれないというワクワクが渦巻いていた。タクシーが行ってしまった。異常な静けさと道標の街灯。霧の中はこんな感じなのか。どちらに進んだらいいかは分かるが、その先に何が待ち構えているかは分からない。見えないことはとても怖いことだ。それでも、少しずつ進んで行くと、その分だけ周りの景色が見えるようになる―

 

以前、別の場所ではじめて日中の濃霧を経験した。晴れて太陽が出ているはずなのにぼんやり薄暗かった。ターナーの絵を彷彿させるような光景だった。ふと、空を見上げると太陽の姿がはっきりと確認できた。太陽は丸かった。まん丸だった。眩しくて普段はその姿を直視することはできないが、濃霧の中でははっきりと見えた。普段見えているものが見えなくなることで、逆に普段は見えないものが見えるようになる―

 

霧に遭遇するといつも以上にグルグルと考え込んでしまう。別に大した結論が出るわけでもないし、誰かの役に立つようなアイデアが湧いてくるわけでもないが。霧は幻想的なのだろうか。いやむしろ、現実を見つめるきっかけとなるような気がする。でもやはり、霧の中には異界への入り口がありそうな気がしてならない。そう思わせる何か不思議な魅力がある。そういえば、あのタクシーは霧の中に消えていったが、無事に仕事を終えて家に帰れただろうか。それとも―