とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

自らを欺く勿れ

「好きな季節は何ですか?」

と問われたら、何と答えるだろうか。この場合、春夏秋冬のどれかを答えればいいのだが、私はすぐに答えることができなかった。なぜか。それは、自分の好きな季節が、春夏秋冬のどれでもあり、どれでもないからだ。言っている意味が分からないという声が聞こえてきそうだが、言い方を変えると、季節の変わり目が好きだということだ。季節の変わり目は体調を崩す人が多い、と言われるが、私の場合はむしろ逆である。ワクワク、ドキドキという感情がふつふつと沸き上がってきて、いつも以上に感覚が研ぎ澄まされる。特に好きなのは、冬と春の間、そして、夏と秋の間だ。前者の好きなところは、地面を覆っていた白い雪が一斉に溶け始めるところ。ゆきどけの程度に応じて足音も変わる。「キュッキュッ」から「ザクザク」へ、そして「シャリシャリ」へ。足音の変化で、冬が過ぎ去ろうとしていることが分かる。加えて、柔らかい日差しと、冷たさが少し和らいだまろやかな風が命の息吹を感じさせる。後者の好きなところは、香りだ。夏から秋へと変わる時、太陽の光がたっぷりと染みこんだアスファルトの匂いが、薪を燃やしたような少し煙たい匂いに変わる。その匂いがすると、秋が来たんだと感じることができる。

 

「季節の変わり目が好きです!」なんて言ったらどんな反応されるかと気になってしまい、結局その時は「秋が好き」と答えた。会話の流れを読んで自分の本心とは違う答えを言ったことが地味に心にずっと残っている。その場にいる人と全く違う考えを持っていたり、全く違う感じ方をすると、間違っているのは私の方だと思ってしまう。これは今にはじまったことではなく、学生の頃からそうだった。極端にいえば、私が美しいと感じたものを私以外の全員が醜いと言ったら、私も同じく「醜い」と言ってしまうということだ。

 

本心は違うが表面上では同意する。これは他人はもちろん自分をも欺いているということなる。そしてそんなことを繰り返していたら、いつしか自分の感じ方や考え方を大切にしている人に嫉妬するようになった。なんて醜い嫉妬なんだと自分が嫌になった。やっぱり自分が感じていること、考えていることを素直に言えるようになりたい。自分が思っていることを素直に言うこと。普段からあたりまえのようにできている人からしたら、そんなこともできないのか、と思われてしまいそうだが、これがなかなか難しい。今すぐにできることではないが、少しずつ変わりたいと思った。

 

自分自身の“ものの感じ方”を尊重してこそ、他人も尊重できるということなのだろう。自分の考えはどうでもいいけれど、人の考えは尊重する。果たしてこれは本当に尊重できているのか。人の意見云々の前にまずは自分自身が何を感じているのかを知り、それを認めることが大切なのだ。これは、何も自分の感じ方や考え方が一番尊いという意味ではない。自分独特の感性を「面白いじゃん、私!」と認められるようになれば、自然と他人の感じ方や考え方も心から「なるほど!そういう考えもあるのか」「これも面白い!」「それも素敵だね!」と言えるようになる、そういう意味だ。

 

※何年か前に別名義で投稿サイトに投稿したものを加筆修正しています。