とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

あと少しで今年も終わるけれど

カレンダーを見て驚愕する。

気がついたらもう30日になっていた。

毎年のことだが、12月はカレンダーを見るたびに「え? もう○日?」と言ってしまう。別に焦っているわけではない。だって、12月で世界が終わるわけではないのだから、そもそも“やり残したこと”なんてあるわけがない。掃除だっていつでもできる。でも、なぜだろう。忙しなくなってしまう。不可抗力だ。何もしなくてもいいのに、何かしなければいけない気分になる。おかしい。20数年間あたりまえのように過ごしてきたけれど、改めて考えるとおかしい。そう思いながら、せっせと部屋の掃除をしている。まあ、棚の後ろにホコリが溜まっている部屋で新年を迎えるのは何か嫌じゃん。

 

掃除といえば、最近みた映画『PERFECT DAYS』において、主人公は公共トイレの清掃員だった。毎日同じ時間に起きて、寝るまで同じルーティンで生活しているが、毎日少しずつ何かが違っていた。この映画を観て、毎日同じことの繰り返しだとしても、全く同じ日なんてないことに気付かされる。毎日何かが変化して、それが波及して自分の日常も侵食してくるから。裏を返せば、全く同じ日が送れないのは、誰かが自分の人生に関わっている証拠だともいえる。誰か、というのは必ずしも家族や友人など近しい人だけではない。

例えばいつも行くスーパーの店員さん。ちょっとした不注意で、自分がいつも買う商品の発注を行わなかったとする。いつも買っているものが買えず、残念な気持ちで別のものを買うと案外こっちの方がいいかもしれないと気がつく。見ず知らずの店員さんの不注意が、自分の日常にほんの少しの変化をもたらしたということになる。この意味で、店員さんは自分の人生に関わっているといえる。少しだけれども。

 

結局何が言いたいのかはっきりしない文章になってしまった。でも別に何かを伝えたくて書いているわけではない。伝えたくて書く場合もあるけれど、たいていはどうでもいい話をこうやって垂れ流している。日記とかエッセイとか雑記とか、タグを付けてはいるが、何に分類されるかは正直自分でも分からない。でも、そういう文章でも、どこかの誰かが読んでくれていると思うと、少し緊張する。というのも、自分の書いた一文、言葉が、読んだ人にどう捉えられているのか分からないから。影響力なんてないことは十分承知しているが、誰かを不快にさせていないか心配になる。それなら書くのを止めてしまえばいいと言われそうだが、それはできない。書くことで頭の中を整理しているから。まあ、それを公開する必要はないのかもしれないが。どうしても、欲がでてしまう。誰かに読んでほしいという欲が。他人を介して自分の輪郭を確認しようとしているのかも。

 

掃除の続きをするのでこのくらいにしよう。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

来年もこんな感じで細く長く書いていこうと思います。

 

来年って言ったけれど、あさってから来年だ。