とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

それは単なる偶然

自分にとってよくないことが起こった時ほど、単なる偶然に意味を見いだす傾向が強いと感じた(自分自身が)。そして偶然に意味を見いだすことで自らをさらに悪い方へ誘導しているような気もする。

例えば、夕食の準備をしている最中に、包丁が指にあたって切り傷をつくってしまったとする。止血をしながらふと思い出すのは、「そういえば今日買い物に出かけたとき、行きも帰りも信号が全部赤だったな」ということ。そして包丁で指を切ったことに結びつけてこう考える。“全部赤信号だったのは、血の赤を暗示していたのかもな”

 

信号が全部赤なんてことは珍しいことではない。たまたま、偶然にすぎない。普段なら全く気にも止めないことだっただろう。だが、包丁で指を切ってしまった(よくないことが起こった)日と同じ日に起こった場合、何かしら繋がりがあるのではないかと考えてしまうのだ。無意味な意味づけを行うことで、自分の心に生じたさざ波、つまり「不安」を鎮めようとしているのかもしれない。毎日使っているものでケガをするなんてあり得ない、どうして…? 「あぁ、やっちゃった…」で済めばいいが、何でも悪い方に考えてしまうスイッチが入ってしまうと、あらゆる出来事を関連付けて、偶然にすら意味を見いだしてしまう。

 

何かと何かを関連づけて物事を考えること自体は悪いことではないと思う。だが、逆に繋がっているものを切り離して考える癖もつけないとダメだと感じた。自分に起こった出来事、ただそれだけを見つめることは意外と難しいのかもしれない。包丁で指を切ったことはそれこそ単なる偶然であり、ほんの一瞬の不注意がたまたま悪い結果を生じさせただけだ。誰にでも起こりうることだ。これを、「信号のことといい、ケガしたことといい、何かおかしい。もしかしたら何かもっと悪いことが起こる前兆なのかもしれない」と考えてしまえば、さらに不安を煽ることになる。偶然は偶然のままで。