とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

夢を持たない夢追人

「夢がある人っていいよね」

大学3年の頃、友達の一人がこう呟いたのを覚えている。

その時は、就活の話から今後の人生設計についての話に至るまで、結構真面目な話をしていた気がする。大学生は学年が上がるにつれ、日常会話の中に“シューカツ”という単語が登場する頻度がどんどん増えてくるのだ。どんな話の流れで出てきたのかについては記憶が曖昧であるが、この言葉だけが私の頭の中にこびり付いている。

 

小学校の卒業式の日、卒業生が、これから中学へ進むにあたっての決意表明をするという企画があったのを思い出した。その企画が少々変わっており、自分の決意を漢字一文字で表し、なぜその字を選んだのか一人一人プレゼンするというものであった。私が書いた一文字は、そう、夢である。色褪せつつあった記憶をたぐり寄せるように思い出していくと、夢という文字を選んだ理由は、「夢が叶うように、中学校で勉強を頑張りたいから」だった気がする。しかし、おかしなことに、その当時、私は叶えたい夢を持っていなかったのだ。まだ小学生だった自分が書いたことを今になって分析するのは意味がないかもしれないが、おそらくこう考えていたのだろう。勉強を頑張れば、部活動を頑張れば、夢は必ず見つかるのだ、と。

 

 夢がないのに夢という文字を書いてから約十年後。就活の時期がやってきていた。夢を見つけ、その夢に向かって日々努力をしている。と、書きたかったがそういうわけにはいかなかった。大学3年の私が見つめる先にあったのは、叶えたい夢ではなく、とりあえず何か仕事を探さなければいけないという現実だった。生きていくためにはお金が必要であり、お金を稼ぐために働く必要があるのだから(働かずともお金を得る方法もあるが、それは別として)。もしかしたら、夢がある人とない人との違いは、人生を一冊の本にしたときに、その厚さに顕著に表れるのかもしれない。つまり、人生という物語の内容の濃さが全く違うのではないか。そんなことまで考えてしまっていた。だから、「夢がある人っていいよね」という友達が言った言葉を私が言うとすれば、妬みの感情たっぷりに言っていただろう。

 

でも、次第に、私に夢は必要ないのかもしれないと思うようになっていった。夢がある人を羨ましいと思う反面、いろんなことに興味を示し、とりあえず手を出してみるという生き方でも悪くないのではないかと思い始めたのだった。周りから見れば、「あの人は何がしたいのか分からない」と思われるかもしれない。しかし、自分の興味の赴くままにいろいろ試してみる方が私の性に合っていると気がついてしまったから仕方ない。そうやって生きていき、いつか「これだ!」と思うものに出会えたら、それでいい。夢は必要ないと言いつつ、夢を持つことへのあこがれを捨てきることができない。そんな矛盾を抱えたまま進むことにしたのだった。

 

「夢がある人っていいよね」

友人の何気ない言葉は、私を“夢を持たない夢追人”に仕立て上げたのだ。