とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

色祭―しきさい―

青空に映える“赤い華”、見事な紅葉を見た。

 

花の赤とは違う種類の赤のような気がした。塗り重ねた濃厚な赤ではない。発光するような鮮やかな赤だ。紅葉が見頃の場所で、葉の様子をしばらく観察していた。風が吹くとまるで桜吹雪のようにひらひらと、いや、 はらはらと落葉していった。色のない冬を迎える前の色彩の祭りのようだった。最後は盛大に色づいて、大胆に散りましょうと言わんばかりの現象だ。爆発的だ。せっせと毎日休まず働き養分を作り出していた葉は、冬になると大量解雇される。木の生命維持のためには必要なのだ。春になればまた新しい働き手を大量に雇うから、もう用無しというわけだ。解雇が言い渡されてからは猶予期間がある。その間に落ちる準備をし、気温が一定のラインを下回ると最後の祭りが始まる。そしてさらに気温が下がると、盛り上がりは最高潮に達する。黄、橙、赤…。これまで緑の服しか着ることができなかった。でも最後は思い切り派手な色の服を着てやるんだ、という声なき声が聞こえてきそうだ。内々でド派手に行われている祭りを「美しい」といって見物する人がたくさんいる。緑の時は目もくれなかった人々がスマホで写真まで撮っている。最後にふさわしいではないか。いのちを燃やしきったら、あとは落ちる時を待つのみ。その時はいつ来るかわからない。葉を観察していると、風が吹いたわけでもないのに急に数枚落葉するときがある。不思議なものだ。意思があるのではないかと錯覚するくらい、はらりと音を立てて落ちる。それは寂しい音だった。

 

そういえば落ちた後の葉は、結局どうなるのだろうか。かき集められて燃えるゴミとなる場合もあれば、そのまま腐葉土となる場合もあるだろう。どちらがいいのかは分からない。花に対して葉は引き立て役にまわることが多い。だが、晩秋の頃の主役は間違いなく葉である。この頃ばかりは花よりも華やかに景観を彩る。そしてひっそりと、生涯を終える。