とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

〈モナ・リザ〉と永遠の美

「この人みたいにずっと年取らなきゃいいのにな」

私の透明なスマホケースに入っている〈モナ・リザ〉のステッカーを見て、祖母はボソッとこう言った。冗談っぽい口調だったので本当にそう思っていたわけではないと思うが、そういう見方もあるのかと、新しい視点に気づかせてくれた。レオナルド・ダ・ヴィンチの〈モナ・リザ〉は私が好きな絵画の一つだ。じっと見ていると、人物がぼんやりと浮かび上がってくるような不思議な感覚になる。微笑を浮かべているようにも、悲しんでいるようにも見えるあのなんともいえない表情は、何を思っているのかと想像をかき立てる。まるで写真のようにリアルでありながら、この世のものとは思えない非現実的な美しさも兼ね備えるこの絵に、とてつもなく惹かれるのだ。だが、この絵を見た祖母の感想は意外なものだった。

 

移ろいゆくもの、経年変化したものに美しさを感じることがある。

例えば日本の四季。春夏秋冬それぞれに美しい風景がある。その時期にしか咲かない花があり、その時期にしか食べられないものがある。同じ状態が長くは続かない刹那的な美しさ、とでも言うのだろうか。季節にまつわる言葉が多く存在するのも、移ろいゆく季節の美しさを何とか表現したいと思った先人たちの美的感性のおかげかもしれない。経年変化したものの美しさといえば、革製品が思い浮かぶ。使えば使うほどシワが増えて、色もくすんでくる。でもそれを劣化したとは言わない。その革製品は「時」が刻み込まれてさらに輝きを増すのだ。

 

変化しないものに美しさを感じることがある。

例えば美術品、絵画。何十年、何百年も前の絵は、痛んでいたり汚れていたりする箇所を修復することでなるべく描かれた当時の状態を保存する努力がなされている。それは、その絵の価値を保存するということなのだろう。美術品の多くは、「時」が浸食することで美が失われていくのだと思う。有名な作家が描いた絵は何百年も残り続け、経年変化に抗いながら美を保っていく。

 

人間は常に変化する。だから、移ろいゆくものとしての美しさを備えているのだと思う。無垢、溌剌、色気…年齢ごとに違った美しさがあるのだと考えれば、もはや若さ=美しさではないのだ。他方、〈モナ・リザ〉で描かれた人物は年を取らない。移ろいゆくものとしての美しさを備える人間は、絵に描かれることで、その時点での美しさが保存される。絵が有名になればなるほど、変化しないものとして美しく存在する宿命を負う。私はここに人物画の奥深さを感じた。変わりゆくものと、変わらないもの。相反する二つの美が、一つの絵の中でグルグルと渦巻いている気がする。そういう視点で絵を見ると、また違った見え方がしておもしろい。