とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

花は咲くまで分からない

 昨年、祖父の三回忌の法要があった。セレモニーホールで住職さん(おそらく40代前半)にお経をあげてもらった後、そのままお墓参りに行き、再びホールに戻りソーシャルディスタンス昼食をとるというスケジュール。滞りなく全ての日程を終えたいというのは、そこにいた全ての人の望みであっただろう。実際、滞りなく終了した。が、私の心は決して平穏ではなかった。むしろ滞っていた。滞りまくっていた。原因は、お墓参りに行ったときに住職さんの口から放たれた言葉にある。別にその発言に対して怒りをおぼえているわけではない。あれは、確か、寺の境内に植えられていた花について話している時だった—

 

「ここの境内にはいろんな花があるんですね、とっても綺麗です。」

「ありがとうございます、祖母が色々と育てているみたいで。」

「おばあさんが育てているんですね。」

「わたしは花の育て方はあまり分からないので…。除草剤をまいたり、庭の手入れを少々するくらいです。」

「ああ、そうなんですね。」

「この前なんて、この辺一帯に除草剤をまいたら、ばあちゃんに怒られたんですよ。間違って、植えた花にもまいてしまったらしく…」

「え?」

「わたしも無知なもので、みんな雑草に見えたんですよ。花って、咲くまで分からないじゃないですか。」

「はあ、まあ、そうですね。」

 

はい、ここまで。色々とツッコミどころのある住職さんだが、注目すべき発言は「花って、咲くまで分からないじゃないですか」というもの。この日、この言葉が脳内で繰り返し再生された。

 確かに、花が咲いていない、葉っぱだけの状態で地植えをするのはよくあることだ。植えた場所の周辺の手入れを怠ると、花は、周りの雑草と同化してどこに植えたのか分からなくなる。もはや雑草の一種のように見える。だから、除草剤をまいてしまう危険だってあるのだ。それでも花は、周りの草木と競い合いながら確実に根を張り、静かに開花の時を待つ。もしかしたら、害虫や病気の影響で花が咲く前に枯れてしまうかもしれない。そんな危険を乗り越えついに花開けば、美しい花を楽しむために私たちは周辺の手入れを念入りに行う。だから花は、のびのびと、さらに深く根を張るのだ。

 人間も同じようなものかもしれない。自分はどういう人間であって、何ができるのかよく分からないまま社会生活を送っているとしても、何かの役割を与えられ、それを一つ一つこなしていった結果、意図せず自分の得意なことを発見する場合がある。思いがけず、才能が開花したりすることもあるのだ。

 

 もちろん、早い段階で自分がどんな花を咲かせる人間かを理解し、自己を確立している人もいるだろう。花の種は誰でも持っていて、その種に気がつき、大切に育てていく人もいれば、種を持っていることを知らずに、風雨にさらされて年月を経て急にパッと花が咲く場合もあるのだ。ほんとうに、花も人も、開花するまでは分からないものだ。