とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

ポストから見えたのは…

 学生時代に、フリーペーパーのポスティングのアルバイトをやっていたことがある。大きめのリュックの中にフリーペーパーをパンパンになるまで詰め込んで、地図を片手にひたすらポストを目指して歩き回るというものだった。こんなに多く紙というものを背負ったことがなかった(教科書は別として)ため、まだ学生の齢でありながら、帰宅後の第一声は「肩が痛い、腰が痛い」。どのくらい重いかといえば、身長が縮むくらい、いや、力士を肩車しているように…いや、大げさすぎる。とにかく重かったということだ。言ってしまえば、家のポストに投函するだけの仕事だが、いろんなことを学んだ、というか勝手に考えていた。

 

 アルバイトの期間中、百件近く家やアパートをまわったが、慣れてくるとポストの位置が段々分かってくるのだ。あの家の形だとポストはあの辺だろう、といった感じに。たまに突拍子もない位置にあるポストを見つけることが密かな楽しみであった。ポストを見過ぎたせいで、アルバイトをやめてしばらくしても、家を見れば無意識にポストを探してしまう癖がついてしまった(流石に今はないが)。

 

 そして、歩きながら考えていたのは、家というものの持続可能性だ。歩いていると、とても人が住んでいるとは思えないようなボロボロの家が多く目に入った。大抵そういう家は、ポストから郵便物が溢れている。本当に人が住んでいない空き家の場合もあれば、住んではいるが何日も郵便物を放置し続けている場合もあるだろう。そういう家を見ると、一軒家って住む人も管理する人もいなくなったらどうなるのだろうと思慮を巡らせてしまう。そうか、これがいわゆる空き家問題か。数年後、数十年後にはさらに増えていると想像できる。家は、建てるにも、壊すにもお金がかかるのだ。様々な理由で、解体されずに放置された古い木造建ては朽ちていき、その隣で新たな住宅が産声を上げるというコントラストは鮮烈だった。
 

 重すぎるリュックを背負って、ひたすら歩き回る修行のようなアルバイト(歩くのは嫌ではなかったから続けられたのかも)を経験できてよかったと思っている。いろんな家を見ることができたから。そして、空き家の問題は、じんわりと地方都市を蝕んでいることが肌で感じられたから。

 

【番外編】前世はおそらくピッツァ職人

 フリーペーパーのポスティングのアルバイトは、様々な年代の人がやっている。ポスティング前には、自分の担当の地区分を会社に取りに行くのだが、そこで素晴らしいおじいさんに出会った。社員さんに話を聞くと、その人は、ベテランの配達員さんらしかった。何が素晴らしいかというと、フリーペーパーの裁き方だ。チラシを冊子本体に挟み込むスピードは目を見張るものがあり、思わず凝視。まるで切れ味の良い包丁で具材を切るように、見ていて清々しかった。チラシを挟み込み、型崩れしたフリーペーパーの束を整える作業も、速い。ピッツァ生地が破れないように回して…もとい、紙が破れないように、折れ曲がらないように丁寧に華麗に揃えていた。私も同じ作業をしていたが、これが以外と難しい。紙が重なると摩擦が発生し、揃えにくくなるから。彼が紙を裁き始めると、その速すぎる技を見るため、何人かが足を止めていた。おじいさん、前世はきっとピッツァを回していましたよね。無論、そんなことは本人には言っていないが。