とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

「寂しい」と似て非なる感情

不意に、寂しいような気がする時がある。

それは、一人でいる時だけではない。周りにたくさん人がいる時もだ。でも、周りにたくさん人がいるのに寂しいってどういうことだ? とりあえず、辞書で意味を調べてみた。

 

さびしい【寂しい】

①人やものが少なくて、にぎわいを感じさせないさま。②寄り添うものがあってほしいのに、それがなくて孤独な気持ちである。③あるべきものがなくて、物足りない気持ちである。(明鏡国語辞典 第三版 より)

 

 

例えば一人で昼食をとっている時。誰かと一緒に食べることが嫌いなわけではないが、何となく一人で食べる方が楽なのでお昼休憩はたいてい一人でいる。でも、ふと、寂しいような、心がスースーするような気分になる時がある。これが「寂しい」なのだとしたら、3つの意味のうち、必ずどれかに当てはまるはず。①や③ではない気がするので、②なのか。自ら望んで一人でいるはずだが、「誰かと一緒に食べたい、一人は嫌だ」と心の奥底では思っているということなのだろうか。いまいちピンとこない。

 

もう一つ例を挙げる。小学校に入る前、1年ほど入院していた。小児科だったこともあり、クリスマスの時期には小さなクリスマス会が催された。プレイルームに子どもたちが集まり、読み聞かせを聴いたりしていた。細かい部分はよく覚えていないが、私は母のもとを離れて看護師さんと一緒に会場に行ったと思う。周りには私以外にもたくさんの子どもがいた。しばらくその場にいたが、急に心に穴があいたような気分になり、涙が出てきたのだ。何かに飲み込まれるような不快な感情に耐えきれず、泣きながら母のもとへ戻った記憶がある。これは寂しいという感情だったのだろうか。

 

確かに、その場にいた子たちとは顔見知り程度で、親しくしていたわけではない。私自身、誰とでもすぐに仲良くなれるような子ではなかったこともあり、一人置いてけぼりになってしまったような気がしたのかもしれない。そう考えると、「寂しい」の②の意味に該当しそうだ。

 

では、仮に母と一緒にクリスマス会に参加していたら、そんな感情にはならなかったのだろうか。いや、寄り添うものが近くにある状況であっても、同じ感情になっていたと思う。なぜかは分からないがそう思う。そもそも、「心に穴があいたような気分」というのは、「寂しい」とは別物なのかもしれない。ほとんど「寂しい」と同じだが、ほかの要素も入っているから純度100%の「寂しさ」ではない。というか、混じりけのない「寂しさ」って何だ? 辞書の意味にバッチリ当てはまるもののことか。

 

とにかく、当時の私がなぜそういう気分になったのかは思い出せないが、はっきりと定義できない感情があるということは分かった。言い表せなくても、曖昧でも、確実に感情は揺れ動いている。その揺れを何かしらで表現できるようになりたい。…なんて、言ってみたかっただけ。おしまい。