明日のおもかげ

映画化もドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

【美術展巡り③】20240602

東京都美術館(東京都)

 

デ・キリコ展】

今年絶対に見に行こうと決めていた展覧会だった。

正直に言えば、ジョルジョ・デ・キリコという画家を知らなかった。展覧会開催の情報とともにはじめて知ったが、スマホの画面で彼の絵を見た時の衝撃は忘れられない。第一印象は「何これ?」だ。だが、その“何これ”に惹きつけられた。この絵を生で見たらどう感じるだろうか―

 

《バラ色の塔のあるイタリア広場》は、美しい景色から不穏が滲み出ていた。塔の上の旗のようなものがなびいているのを見ると、風があると思われるが、風の音すら聞こえないくらいの静寂が感じられた。人の姿もなく(人らしき影は見えるが…)、生活感もない。この絵の中にあるもの(塔、建物など)は、いわば日常の風景の中にあっても不思議ではないものだ。その形も特異的なものではない。だが、どこか違和感を覚える。何か引っかかる。でもその“何か”が何なのかは分からない。なんだか自分の無意識の部分に働きかけられているような気さえした。

 

もう一つ印象的だった絵が、《燃えつきた太陽のある形而上的室内》という晩年の作品だ。室内には燃え尽きた漆黒の太陽、そして、同じく黒い三日月が転がっている。窓の外には煌々と輝いている太陽、もう一方の窓からは輝く月が見える。これもまた何を表現しているんだろうと考え込んでしまうような絵だった。とにかく、違和感だらけの部屋。燃え尽きた太陽と輝いている太陽は同時には存在することはあり得ない。太陽は一つしかないから。でも、太陽光が地球に到達するまで約8分かかることを考えると、太陽が光を失ったとして、地球にいる私たちがそれに気付くまでの8分間は、燃え尽きた状態の太陽と輝いている太陽は同時に存在していることになる…? 天文学や物理学の知識が皆無に等しいためこの考え方が間違っているかどうかは全く分からない。そもそも“存在する”とはどういうことか、というところから学び直さなくてはならないかもしれない。完全に想像だけで書いていることをご承知置きいただきたい。

 

どんな意味があるんだろうと考え込んでしまう絵が多かったが、そもそも意味を見いだすことはそこまで重要ではないのでは? と思い始め、分からないまま受け入れてみることにした。意味を考えながら絵を見ることをやめると、色彩や構図の独特のリズムがより強く感じられるようになった。そして、その後にじわじわと迫り来る違和感や不可解さを存分に味わうことができた。