露天の湯に浸かりながら、椿を見た。
少しぼやけた赤だった。
冬の朝の冷えた空気によく似合う、張りのある赤が見たかった。
しかし目の前が霞んでいた。湯けむりだ。
立ち昇る湯けむりが椿の姿を絶え間なく隠すのだった。
けむりを払おうと腕を振ったが、一向に晴れなかった。
仕方なく私は腕を湯の中に仕舞った。
それから暫く目を瞑り、湯が流れる音だけを聴いていた。
しばらくすると、火照った頬に心地よい風が触れた。
その風は立ちこめる湯けむりを一瞬でさらっていった。
ほんの数秒間、私は本当の赤を見ることができた。
白黒の冬景色に彩りをもたらす見事な赤だった。
それが、白いヴェールを脱いだ椿の本当の姿なのだ。
だが私は、湯けむり越しに見る椿をどうしても忘れられなかった。
目の前を遮るものが取り除かれ、やっと本当の姿を見ることができたのに、私はあの霞がかった赤を求めていた。
輪郭がぼやけて、周囲の景色と溶け合う椿は、この上なく美しかった。
美は移ろう。
見る者の心が移ろうからだ。
熱い湯に浸かりぼんやりしている間は、全てが霞んで見えるくらいが丁度よいということなのだ。