とりあえずそこ置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

大人の世界とこどものせかい

公園にて。

私はベンチで本を読んでいた。すると、自転車で、小学校中学年くらいの男の子が3人やってきた。男の子らは、遊具で遊び始めた。しばらくすると、芝生でサッカーをしていた別の男の子のグループ(年齢は同じく小学校中学年くらいだと思う)が、遊具の方に近づいてきた。どうしたものかと思い、私は本を読んでいるふりをして耳をそばだてた。遊具で遊んでいた男の子たちを仮にグループAと呼び、近づいてきた男の子たちをグループBと呼ぶことにする。会話の内容は全て聞き取れたわけではないのが、断片的に覚えている限りだとこんな感じだ。

 

グループBの一人が、

「ねえ、どこの学校?」

と言った。どうやら同じ学校ではないらしい。グループAの一人が、

「○○小学校だよ」

と答えた。その後の会話はよく聞こえなかったので端折るが、両グループの雰囲気から、どうやら口論が始まったようだった。

「うるせー、あっち行けよ」

「ぜんぜん聞こえませーん」

と聞こえたときには、グループBは芝生に走って戻っていた。

 

ここからはあくまで私の推測だ。

まず、現場の公園はグループBの学区内にある。グループAは別の学校の子であるから要するに、学区外の公園で遊んでいたことになる。そのことを、グループBの子らが注意したことで口論になったと考えられる。この推測は、“小学生は子供だけで自分の学校の学区外に出てはいけない”という決まりがあることを前提にしている。私が小学生の頃にあった決まりごとなので、今もあるのかは分からない。

 

 口論が収まったようなので、私は再び本を読み始めた。が、彼らのことが気になってしまって集中できない。ちらちらと横目で見ていると、遊具で遊んでいたグループAの子らが自転車に乗って帰ろうとし始めた。すると、グループBの子らも各々自転車に乗り始めた。明らかに遊具の方を見ていたので、これから追いかけるつもりなのだと分かった。それに気づいたグループAの面々は、急いで公園の出口に向かった。グループBは何かを叫びながら追いかけ始めた。グループBが私の前を通過するとき、その中の一人がこう叫んでいるのをハッキリ聞き取れた。

 

「なんで逃げるんですか? 警察呼びますよー、僕、携帯持ってるしー」

 

これを聞いて、”生意気だけどかわいいやつだ”なんてことは思わなかった。彼らには「この公園は自分たちのテリトリーだ」という意識がある。そして、その領域内(公園内)においては、たとえ今、遊具を使って遊ぶつもりはなくても、部外者に何食わぬ顔で使われるのは気にくわない、そういう気持ちが子供ながらにあるのだろうと思った。

 

 

スーパーのお菓子コーナーにて。

お菓子コーナーに立ち寄ると高確率で目にするのが、お菓子が欲しい子供と親の攻防戦である。だが、今回私が目撃したのは、腕を組んで眉間に皺を寄せながらお菓子の陳列棚とにらめっこしている少女であった。私は思わず二度見してしまった。おいおい、お菓子は、そんなに険しい顔をして選ぶものではないだろう、なんてことを思いながら私も彼女の隣でお菓子を選んでいた。すると少女はついに決断したようで、棚から一つ、お菓子を持って去って行った。二択だったのか、もっと選択肢があったのかは分からなかったが、少女は熟慮の末、限られた予算内に収まるもので最も食べたい(と思われる)ものを自分で選び取った。

 

 彼女の予算は実際のところ分からない。100円だったかもしれないし、もっと低かったかもしれない。だが、腕を組んで悩むほど彼女にとっては一大事だったのだ。大人と子供で100円の価値は全く違うのだ。いや、大人でも、収入によって、または世の中の状況によって100円の価値は全く違う。当たり前のこと過ぎて考えもしなかったが、あの少女が考えるきっかけをくれた。

 

 

 自分が子供のときは気がつかなかったが、大人になってから子供を観察してみると、大人も子供も大して変わらないのではないかと思うのだ。たしかに、大人は長く生きている分いろんな経験をしているとは言えるが、それだけで子供よりも立派な人間だとは言えないだろう。大人でも、少年の心・少女の心を持ち続けることはできるし、子供でも、大人になりたいと思ったらその瞬間から大人の振る舞いをすればいい。成年年齢は決められているが、大人になるか、子供のままでいるか、はたまたどちらでもないか、自分で決めればいいのだ。