夏の象徴であるひまわり。
太陽に向かって思いっきり花開くその姿は眩しくて、思わず目を細めてしまう。
1本でも十分存在感があるが、ひまわりの花畑ときたらまるでパワースポットかのようにエネルギーが充満している気がする。太陽を直接浴びるよりも、陽光をたっぷり浴びたひまわりを見たほうがエネルギーをチャージできそうだ。
だが、その命が終わりを迎えるときの姿はあまりに痛ましく、目を背けたくなるのだ。
茶色く変色した葉は瑞々しさの欠片もなくだらんと垂れ下がり、茎の上部は、種がぎっしり詰った花の重さに耐えかねて逆Uの字に曲がっている。花は二度と太陽を見ることはない。真っ直ぐに地面を見据えている。まるで全てに絶望してうなだれているような風貌だ。夜、月明かりの中にぼんやり佇む姿は亡霊と見間違えられても不思議ではないだろう。
そんなひまわりの姿を見たくないと思うのは、ひまわりは「太陽に向かって元気いっぱい咲き誇る夏の象徴」であってほしいという気持ちが強いからなのだろう。その“あるべき姿”からあまりにもかけ離れてしまっているものだから、自分の中のひまわりのイメージが崩されるようで危機感を覚えるのかもしれない。
真っ直ぐに立ったまま朽ちてゆく。
その姿はとてもじゃないけど美しいとはいえない。
そもそも美しい終わり方なんてあるのだろうか。
太陽に愛されて夏を生きたひまわりは、何に絶望したのだろうか。