無名日々記

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

ある街の冬三景【二、期間限定重労働】

雪が積もると日常生活においてやるべきことが一つ増える。除雪だ。“大人になると雪が嫌いになる理由”の8割くらいを占めると思われる除雪だ。たとえば一晩で20センチ積もるとしよう。朝になれば、防寒着で身を包みカラフルな除雪スコップを持った人々が各々の家の前で雪と格闘する。文字通り格闘なのだ。なぜそんなに大変なのかというと、除雪車が通ったあとに残された大きな雪の山を崩さなくてはいけないからだ。

 

たしかに除雪車が来てくれることはありがたい。しかし、「除雪車」という言葉をよく見てほしい。雪を除ける車、つまり、道路にある雪を消してくれるわけではなく、どこかに除けるための車なのだ。では、除けた雪はどこへいくのか。大抵は道路の端や空き地の前などに寄せられるが、あの大きなスコップからはみ出た雪は家の前に溜まる。朝起きて外に出ると、家の前に小さな山脈ができているのだ。何度も言うが、除雪車が来なければそもそも道路を走行することが困難であるため、除雪車に乗って作業してくださる方々には心から感謝を伝えたい。問題は、その雪の山とどう向き合うかなのだ。雪の塊は重く、下手に持ち上げれば体が悲鳴を上げる。スコップで崩しては運んでを繰り返すことでやっと片付く。まさに重労働だ。雪遊びが楽しいと思っていた子どもの頃は除雪がこんなに大変だとは思ってもいなかった。

 

こういう場合、この重労働をなくす、あるいは軽くするためにはどうしたらいいかを考えるべきなのかもしれない。そもそも、本当にその重労働が苦痛で耐えがたいのであれば、雪が降らない地域に引っ越すのが一番だ。それも悪くない。まあでもしばらくはここで生きていくつもりでいるので、冬場は“with雪”の生活になることを受け入れようと思う。そういうわけで私は、除雪を冬場限定のトレーニングだと思うことにした。崩して持ち上げて運んでの繰り返しは、普段使わない腕や背中の筋肉を動かすだけでなく、有酸素運動にもなる。体を動かすチャンスを与えてもらっているのだ。そう考えれば、雪を嫌いにならずに済む気がした。

 

ということで、タイトルの「期間限定重労働」の読み方は、“たんきしゅうちゅうとれーにんぐ”にしようと思う。