とりあえずそこに置いといて

映画化も、ドラマ化もしない何でもない日常で感じたことや考えたことの寄せ集め

ストレス的マスクライフ

職場の人の顔、覚えてますか?


 私は最近、入社したときからマスクを付けていたがために、職場の上司や同僚の顔が思い出せなくなる時がある。というか、マスクを外した顔を見たことがあったっけ、という人もいる。もはやマスクに慣れすぎて、付けていないと気恥ずかしいとさえ感じてしまう。顔の大半を布や不織布で覆い、目だけが見えているという奇妙な状態は、いつまで続くのだろうか。

 

 そもそも、相手の目から情報を受け取ることは多い。目つきが悪い人を見ると、性格が悪そうと判断したり、あの子は寂しそうな目をしているとか、目から闘争心が伝わってきたり…。そんなことを考えてみると、目だけ見えていれば、特にコミュニケーションに支障をきたすこともなく生活できそうだ。しかし、長きにわたるマスク生活で感じたのは、相手の表情が見えないことへの不安と、自らの感情が閉じ込められたような窮屈さだ。

 前者は、マスクをしながら会話をしているときによく感じる。この人はマスクをとったらどんな表情をしているのだろうか。本当に笑っているのだろうか。確かに目を見れば相手の感情を読み取ることができなくはないが、微妙な表情の変化を感じ取ることは難しい。マスクで顔が隠れるということは、“相対していても見えない部分がある(=知らない部分がある)”というある種の不安感を駆り立てる。
 後者も、最近よく思うことだ。誰かと会話している状況において、マスクをしないで思い切り笑うのと、マスクをして同じように笑うのとでは、マスクをしないで笑った方が明らかに心地よい(マスクをしていると息苦しいからという理由は、今は置いておく…)。なぜなら、自分の笑顔が相手に届いていると感じるからだ。そして、相手の笑顔も受け取ることができる。感情の交換ができているということだ。このことは、あたりまえ過ぎてこれまで感じることすらなかった。「もらい泣き」「つられ笑い」という言葉があるように、誰かの感情に影響を受けることは少なからずある。逆に、自分の「楽しい」「悲しい」を共有したいという気持ちになることもある。そう考えるとむき出しの顔は、感情をくみ取ったり、発散させたりする、植物でいう“気孔”のような部位なのではないか。マスクをすることで、その部位の大半が塞がれるから、物理的に息苦しいだけでなく、心理的にも窮屈に感じるのだと思う。

 

 マスク生活には慣れたつもりだったが、案外ストレスを感じているものだと実感している。そして、表情筋をますます使わなくなるのではないかと危惧している。マスクの中はどんな表情をしているのだろうと想像する余裕を持てるようになりたいものだ。